法人概要
CORPORATE OVERVIEW
設立の経緯と沿革
在りし日のシスター・テルミエ
1633年にパリで発足しました“聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会”は会の創立300年祭に当たる1933年、当時は地の果てと思われていた日本へ、宝塚市小林にある聖心会院長マザー・マイヤーの依頼により、日本の貧しい人々の奉仕の為マルセイユより4名の愛徳姉妹会のシスターを派遣する決断がなされました。
シスター・テルミエが率いる4人のシスターが一ヵ月半の船旅を終え、神戸港に到着し、すぐに大阪田辺の小さな日本家屋に居を定めて奉仕が始まりました。 無料診療所と託児所が手探りの中で行われましたが、そのうちに親が養育できない子どもたちも引き取ってお世話していました。
1940年には不幸にも戦争が勃発しましたため、日々の食物にも事欠き、多くの困難と苦しみを耐え忍びながら、窮地に立ってもシスター達は病人と子どもたちを見放すことなく奉仕は続けられ、ついにシスター・テルミエはチフスに感染し愛の殉教者となりました。オライリー氏と子ども達
戦後、巷に溢れていた、いわゆる戦災孤児たちを世話し始めましたが、困窮している中で、アメリカ兵のオライリー氏との出会いから狼犬部隊の友情と援助が得られるようになり、1949年には“聖家族の家”の新しい建物が完成しました。シスター達にとっていつも子どもたちのお世話が出来ることは大きな喜びであり幸せでした。
以来、半世紀以上経過しましたが、時代と社会の発展に伴い、施設運営には専門性も要求され、今日に到っております。
ふりかえれば、実に多くの方々の様々な形の善意ある援助をいただき、また、職員の方々の献身的なお働きがあって今があることを感謝したいと思います。
初代のシスターたちが、全てを神に捧げて、ひたすら日本のミッションを愛し、苦労を共に種をまいてくださったことが現代において豊かな実りをもたらしていることに歴史の重みと神のお導きを感じる次第です。昭和8年5月 | 聖心会小林修道院 初代院長マザーマイヤーが大阪教区カスタニエ司教様を通じ、パリの愛徳姉妹会本部にシスターの派遣を依頼 |
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昭和8年9月8日 | パリ本部から4人のシスターを派遣。上海で2人のシスターが合流。6人のシスターが日本に到着した。2人が福岡。4人が神戸に。 |
昭和8年10月25日 | 神戸港到着 |
昭和8年10月27日 | 大阪市東住吉区山坂3丁目83番地、ここを最初の住居とする。 |
昭和8年11月1日 | 「聖心セッツルメント」開設 大阪市西成区東萩町30番地、借家2階建1戸、平家建1戸で事業を始める。 |
昭和9年2月2日 | 診療事業 「聖母病院」 開始 |
昭和10年6月6日 | 大阪府知事より「聖心セッツルメント」設立の許可あり |
昭和10年8月 | 子ども会を始める |
昭和10年8月15日 | 稲畑氏夫妻より亡くなった子どもの記念として、マザーマイヤーに土地(西成区海道町36番地の1)が寄附。そこに診療所と子供の家が建てられた。木造平家建2棟 |
昭和11年7月4日 | 新しい診療所の祝別 |
昭和11年7月8日 |
「聖心セッツルメント」の落成式 |
昭和11年8月17日 |
大阪府知事より診療所開設許可(稲畑二郎氏宛)あり |
昭和13年 |
子ども達への給食を始める。 |
昭和13年4月4日 |
保育事業開始 |
昭和13年10月19日 |
大阪市東住吉区山坂町5丁目26番地、聖母修道院において孤児養育事業開始。昭和15年4月迄に釜ヶ崎で5人の棄児があり同様にして育てた。終戦後も修道院の一部を乳児院として使用。 |
昭和16年12月9日 |
日中戦争 |
昭和18年12月 |
「聖心隣保会」と改称 |
昭和19年3月26日 |
「聖心隣保学園」を設け、不在家庭児童保護事業を行う。 |
昭和20年3月13日 |
大阪大空襲 空襲を受け焼失。事務所を大阪市東住吉区山坂町5丁目26番地に移す。 |
昭和20年8月15日 |
第二次世界大戦 終戦 |
昭和20年11月20日 |
元兵舎を大阪市より無償で借受け、戦災母子、孤児、単独婦人、老人、棄児等を収容 |
昭和20年12月8日 |
祝別式を行い「聖家族の家」と命名される。 |
昭和21年3月24日 |
初代理事長 シスター テルミエ 腸チフスにより逝去 |
昭和21年10月1日 |
生活保護施設として認可 定員200名 |
昭和22年5月3日 |
フラナガン神父来園 |
昭和22年6月30日 |
「聖家族の家」建設用地買収 2,244.62㎡ |
昭和22年12月12日 |
乳児院「聖母託児園」として認可 |
昭和22年12月12日 |
養護施設「聖家族の家」として認可 定員120名 |
昭和23年6月15日 |
パリの愛徳姉妹会本部から新しい建物の建築認可 |
昭和23年8月7日 |
母子収容はここが最後に、以後児童のみ収容 |
昭和23年10月25日 |
新しい「聖家族の家」の建築認可申請書提出 |
昭和23年12月8日 |
新しい「聖家族の家」の建築認可 |
昭和24年1月5日 |
建築工事着手 |
昭和24年7月16日 |
児童福祉施設最低基準による「聖母託児園」定員20名 大阪府民生部長認可 |
昭和24年7月16日 |
大阪府民生部長より最低基準による「聖家族の家」定員142名の通知あり |
昭和24年12月2日 |
新しい「聖家族の家」の祝別式 |
昭和24年12月23日 |
6人の乳児が修道院から新しい建物、「聖母託児園」に移る |
昭和24年12月25日 |
赤十字団として狼犬部隊のオライリーさんらが初めてクリスマス会に招待してくださる |
昭和24年12月29日 |
資金未払いにより、建物閉鎖。 |
昭和25年1月1日 |
閉鎖事情を米国陸軍歩兵第27部隊(狼犬部隊)が知り、オライリー軍曹らが全兵隊たちの給料から集めた4万円を持参し寄付される。 |
昭和25年1月31日 |
オライリー軍曹らの寄付によって、建物閉鎖を解かれ、建物の引渡を受ける。 |
昭和25年2月3日 |
「聖母託児園」 乳児院認可 定員20名 |
昭和25年2月3日 |
「聖家族の家」 定員120名として認可さる。 |
昭和25年2月11日 |
落成式を行う。木造瓦葺モルタル塗2階建延1848.83㎡ |
昭和25年10月21日 |
「聖母託児園」 大阪市東住吉区南田辺4丁目13番地 978.51㎡を愛徳姉妹会が買収 |
昭和26年 |
アメリカ兵の寛大さのお蔭で借金は全部支払うことができ、感謝の碑を建てる |
昭和26年12月24日 |
聖心隣保会として御下賜金拝受 |
昭和27年5月21日 |
高松宮殿下がおいでになり感謝の御辞を賜わる |
昭和27年12月27日 |
「社会福祉法人 愛徳童貞会」 設立認可申請書提出 |
昭和28年4月7日 |
「社会福祉法人 愛徳童貞会」 認可 |
昭和28年5月16日 |
「聖母託児園」 優良乳児院として大阪府知事より表彰を受ける |
昭和29年3月27日 |
「聖家族の家」 定員超過の子供約20名を他の施設に移動。小学校卒業の男子を中津のボスコ学園に送ることについて厚生省に陳情。 |
昭和29年6月10日 |
「聖母託児園」(現在の位置)が完成、落成式が行われる |
昭和29年7月1日 |
「聖母託児園」 乳児院の定員30名に増員 |
昭和29年7月19日 |
「聖母託児園」 現在の地に移転 |
昭和30年6月18日 |
「聖家族の家」と「聖母託児園」のホームが分離独立 |
昭和30年8月30日 |
「聖家族の家」事務費改訂に伴う実行定員130名(実施時期又は期間昭和30年4,5,6,7月のみ適用)大阪府民生部長通知あり。 |
昭和31年5月18日 |
大阪市東住吉区南田辺4丁目15番地の5(現在の施設内幼稚園の敷地)337.19㎡買収。 |
昭和32年4月 |
東棟増改築工事着工 |
昭和32年6月 |
「聖家族の家」定員増加 新定員130名 大阪市東住吉区南田辺4丁目15番地の4(現在の施設内幼稚園の敷地)145.45㎡買収。 |
昭和32年11月5日 |
「聖家族の家」竣工 鉄筋コンクリート3階建、建築面積329.52㎡、延面積919.42㎡ |
昭和35年6月10日 |
「聖家族の家」保育室新築工事着工 |
昭和35年7月31日 |
「聖家族の家」保育室新築竣工、木造平家建64.79㎡ |
昭和35年8月13日 |
東京椿山荘にて狼犬部隊、聖家族の家の交歓会が開かれる。 |
昭和40年7月21日 |
西棟増改築工事着工 |
昭和41年3月24日 |
西棟増改築竣工 鉄筋コンクリート4階建、建築面積409.92㎡、延面積1184.75㎡ |
昭和42年4月1日 |
「聖母託児園」定員50名に増員。増員後3階に居た0才児を1階に移し、2階は1才児が使用、3階は職員寮となる。 |
昭和45年5月1日 |
「社会福祉法人 愛徳姉妹会」 に名称変更 |
昭和46年 |
「週末里親」制度を独自に実施(平成6年度から大阪市の補助制度のモデルとなる) |
昭和47年 |
「ケースワーカー」を専門職として配置 及び 心のケアとして「プレイセラピー」を施設独自に開始 |
昭和47年4月29日 |
御下賜金拝授 |
昭和48年 |
園内幼稚園に「モンテッソリー教育法」を導入 |
昭和49年7月16日 |
保育室(幼稚園)工事着工 |
昭和49年11月15日 |
保育室(幼稚園)竣工 鉄骨造2階建、建築面積91.3㎡、延面積182.6㎡本工事のため木造保育室は一部こわしたため45.10㎡に縮小 |
昭和53年5月12日 |
聖母託児園 「里親宿泊研修室 エンジェルハウス」 着工 |
昭和53年8月20日 |
聖母託児園 「里親宿泊研修室 エンジェルハウス」 竣工 |
昭和53年10月25日 |
聖母託児園 「育みの家」 借入 |
昭和54年4月1日 |
「恵の家」(通称:トリムの家) 借入 |
昭和54年4月8日 |
聖家族の家 グループホーム(分園)「恵の家」(通称:トリムの家) 開設 |
昭和55年10月14日 |
収容児童の年齢引上げを理事会で議決 |
昭和56年4月1日 |
聖母託児園 グループホーム(分園)「育みの家」 開設 |
昭和57年3月20日 |
聖家族の家 理事会に於て学童部新ホームの創設を議決 |
昭和57年3月23日 |
聖家族の家 学童部新ホーム 大阪市長より認可 |
昭和57年4月1日 |
聖母託児園の3階に学童を収容し寮を廃止 |
昭和57年4月1日 |
聖家族の家 学童部新ホーム 実施 |
昭和58年3月22日 |
理事会に於て木造南棟の改築工事を昭和58年度の国庫補助事業として行うことを議決 |
昭和58年11月5日 |
聖家族の家 木造南棟改築工事着工 |
昭和59年3月31日 |
聖家族の家 木造南棟改築工事竣工。ヨゼフ館に接して鉄筋コンクリート地下1階付4階建延569.11㎡を建設。 |
昭和59年4月24日 |
ヨゼフ館新館の祝別式を行う |
昭和61年4月1日 |
グループホーム(分園)「歩みの家」 事業開始 |
平成2年4月1日 |
進学・自立に伴う奨学金給付金制度を発足 |
平成2年4月1日 |
児童クラブ「マリア子どもの家」開設運営、地域児童(障害児童を含む)対象 |
平成4年4月1日 |
「ファミリーホーム」認定施設(後に分園型自活訓練事業に名称変更) 「歩みの家」 の運営開始。(国の方針変更で平成12年度にて終了) |
平成5年4月1日 |
育児の電話相談事業開始 (その後補助金制度なくなるも事業は継続) |
平成5年4月1日 |
職業指導員の設置 |
平成5年8月1日 |
子どものショートステイ事業 開始 |
平成6年7月1日 |
南大阪心理療法センター (外来心理療法)事業開始 |
平成6年10月1日 |
アドボゲーター事業子育て支援を開始。 (テレフオンサービスは国の方針で平成18年にて終了) |
平成8年4月1日 |
グループホーム(分園)「セント・ファミー」 事業開始 |
平成9年4月1日 |
グループホーム(分園)「望みの家」 事業開始 |
平成11年10月1日 |
心理療法実施施設(聖家族の家)の指定 及び 家庭支援専門相談員配置施設(聖母託児園)の指定を受ける |
平成12年10月1日 |
「恵みの家」 地域小規模児童養護施設(グループホーム)の承認を受ける |
平成13年4月1日 |
被虐待児個別対応職員の配置(聖家族の家、聖母託児園) 聖母託児園にも新たに心理療法実施施設の指定を受ける。 |
平成13年4月1日 |
第三者委員を三名委嘱設置 |
平成15年4月1日 |
「蕾の家」開始 乳児院の地域小規模施設で施設独自のプロジェクト |
平成15年4月1日 |
「テルミエハウス」完成、地域小規模児童養護施設、南大阪心理療法センターを開設 |
平成16年4月1日 |
家庭支援専門相談員 設置 |
平成16年4月1日 |
聖家族の家 小規模グループケア施設(児童養護)の指定を受託 |
平成16年11月1日 |
リービングケア施設 「翔きの家」 事業開始 |
平成17年4月1日 |
小規模グループケア施設(乳児院)の指定を「蕾の家」「育みの家」が受託 |
平成18年4月1日 |
「歩みの家」 地域小規模児童養護施設認定 |
平成18年4月1日 |
家族療法実施施設(聖家族の家・聖母託児園) 指定 |
平成18年11月16日 |
法人名称変更 「社会福祉法人 聖家族の家」へ |
平成19年4月1日 |
リービングケア施設「稔りの家」事業開始 |
平成19年5月1日 |
グループホーム(分園)「和みの家」 事業開始 |
平成23年4月1日 |
「和みの家」 地域小規模児童養護施設認定 |
平成24年6月1日 |
ファミリーホーム「やわらぎの家」 事業開始 |
平成24年7月1日 |
「里親支援専門員」 設置 |
平成25年4月1日 |
「児童心理養育施設 児童院」 指定管理者に指定 |